2014/2

鍵っ子の話


昔、私は鍵っ子でした。

兄は私より授業の終わりが遅い、下のきょうだいはいない。父母が働いていたので、母の仕事の休みの日とか、自分の帰りの遅い日以外は、学校から帰っても家に誰もいなかった。

『金色のクジラ』よろしく、自分だけの鍵を持ち歩いていて、たまには誇らしげな気持ちになったりもして、家の鍵をひねったものだった。

私は今もそうだけど、当時から同年代の女の子たちが苦手だった。いや、もしかしたら、学校にいる間に彼女たちと遊ぶのは好きだったかもしれない。
ただ、私にとって安息の時間である家での時間を、なぜわざわざ他人に気を遣いながら過ごさねばならなかったのかわからなかった。
(かといって全く遊ばなかったということではなくて、誘われれば遊びもした。けど、自分から進んで遊びたいということは金輪際なかったように思われる。何より、体を動かすことが大嫌いであった)

家に着くと玄関には飼っていた白文鳥がいて、私は居間で宿題をするなりお人形さんで遊ぶなりして、母か兄が帰ってくるのを待った。兄が連れてくる友人たちは大好きだったし、当時から年上の男の子が好きだったのだろうと思う。

また、お人形さんで遊ぶ折にはリカちゃん人形とゼニガメのぬいぐるみをカップリングして、いつもラブラブなハッピーエンドにしようとしていた記憶がある。彼女らに熱いハグを何度交わさせたか、今となってはわからない。

それはまあどうでもよくて、母が帰ってくると何でも話した。母は若くて美しくて、私の何よりの自慢だった。今でもそう。ただ、昔の私は今より多分ひねくれていたし、恐らく今ほどは母のことを愛して慕ってはいなかった。怒られる裏の愛情を見抜けるほど、出来た小学生ではなかったし。
よく怒る母よりも、あまり怒らなくて可愛がってくれる父のほうが、私のことを好きなのだろうと信じ切っていた。

中学生になると、部活に入った。私の帰りは遅くなった。これで鍵っ子脱出かと思いきや、母はいつの間にか転職していて、帰りが遅くなった。用意してある夕飯を、あっためて食べてねという注意書きがしてあって、夕飯はいつも家で食べた。
恋愛にうつつを抜かすようになった。特に一番好きだった子との付き合いは母に引き裂かれ(今思えばその決断は無情にも正しかった)、母と私との距離は掴みにくいものとなった。兄とは相変わらずゲームもしたし、仲良くやっていた。父とも相変わらず。

高校になってやっと、毎日の帰りが21時過ぎになり、温かいご飯が私の帰りを待つようになった。今になって、というか生まれて初めて今日そんなことを考えたのだけれど、私にとって、その温かいご飯が待っているということ自体、すごく大事なファクターだったのだと思う。母を今まで以上に愛し、慕うようになった。私の帰りを待つ人がいることは幸せであった。ともすれば、この世の何よりも母と過ごしたかった。過去形で語ってはいるが、今でもそれに近いことを思っている。

なぜ急にこんなことを思い出したのかというと、今日は数年ぶりに、帰り道、「鍵を家に忘れた!」と焦る事態に陥ったからである。
一人暮らしでは、家を出るときに鍵をかけるので、忘れることはない。ただ、実家にいる今日は別であった。
帰り道、鍵のないことに気づいてしまった私は幼い頃のことを思い出していた。鍵を忘れた日の、家族の誰かが帰ってくるまで軒先で憂鬱に座り込む時間の長さを。その時間の持つ、永遠に思われるかような重々しさを。

結果的に家には、札幌から帰省中の兄がのんびりとしていたので、私の鍵のないことはさしたる問題にもならなかった。
また、帰宅後に鍵を探したが家中どこにもなく、まさかと思い持ち歩いていたバッグをひっくり返したら、その中からじゃらんと落ちてきたので、情けなさだけがそこに残った。

こんなことを書いてもどうしようもないのだけれど、どうしても書き残しておきたくなった。
将来バリバリ働くのだと豪語している私はいつか、私のような鍵っ子の悲しみをこの世にまた生みだすことを。
そして私は彼/彼女を、何としてでも温かいご飯と笑顔を用意して迎えねばならぬときが来るのだということを、忘れてはならないのだと思う。



20140220

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永遠の15分

就活の合間にちょうど良く時間が空いたので、卒論で触れるつもりであったアンディ・ウォーホル展にいきました。


アンディ・ウォーホルと言えばシルクスクリーンですね。マリリンモンローです。

日本人の女性のポスターは、仙台のほうの我が家にも貼ってあります。

うきうきして私は六本木ヒルズ、森美術館に着きました。
火曜のみ17時閉館との文字が目に飛び込む。
時計を見る。
16:25(ぐらいだった気がする)。

oh……!

断念しました。

でもグッズ売り場を物色して、草間彌生のバッグを買ったりラファエル前派の本をパラパラめくったりできたので、幸せでした。
ウォーホルのグッズが殆どなかったことには納得がいきませんでした。ポストカードくらい置けよ。
ギャルソンのシャツも気になったけれど、貧乏学生なので贅沢は言えません。

草間彌生のグラスと、愛は永久(とこしえ)のコインチョコが欲しかったけれど、高かったので諦めました。チョコレートは要らないから、それが入ってる小さな缶だけでも欲しかった。

バレンタインと称して父親に買って、缶だけ貰えばよかったのかもと今更ながら思いました。

この時間の小田急線はひどく混むのね、奇しくも座れたのでなんとか生きています。
さすがに一時間半立ち乗りは耐えられないからね。


森美術館と言えば以前のミュシャ展のときに少しばかり嫌な記憶があって、ここには二度と来まいと思ったのだった。でも、そう遠くないうちに来てしまったのでした。
あそこでは相変わらず迷子になりますね。きっと私はもし能力があったとしても、ヒルズ族にはなれないんだわ。迷子になって仕事にならないでしょうから。

仙台でもミュシャ展がやっているので、時間を作れたら是非もう一度行きたく思います。


では。


20140218

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