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2021/1

マイホームを建てるまで②

房贷按揭需要什么手续怎样最划算_贷款
マイホームを建てたいなーって考えてから
予算についてももちろん考え出して
☑️今の家賃と変わらんローン返済
☑️ボーナス払いなし

お互いの両親から援助は受けずに
自分達の範囲で建てられるお家を。(笑)


ってなると按揭計算機必然的にローコストなハウスメーカーを巡るしかなくて←
とりあえず1発目がタマホーム〓



クオカード¥3000プレゼントにそそられて〓



いざ行ってみると、前回の建て売りおじい(ポンコツ営業さん)
とは正反対なしっかりした営業マン✨


どんな家を建てたいか
土地はどの辺で、立地はどんな風に考えてるか
を喋って。


土地は子供達が楽しんで行ってる保育園の事も考えて
できるだけ今の学区を変えずに選びたい!
がお互いに一致して


〓〓は駅から離れてもとにかく広い土地
周りはどんな環境でも気にせん←

私はりりかが女の子な事もあって
駅から歩いて通学できる距離で
そこそこ狭くてもいいから
周りが明るいところ。


真逆〓〓〓


営業マンは、お互いの希望に沿って(絶対無理)
予算に合う今の学区内で
色々調べてみます!って言ってくれて

とりあえずローンが通らな
家なんて買えたもんじゃないし←
そこが重要やからフラット35の事前を通してみて
そこから予算を明確にして考えていこう!って決まって

後日記入していざ恐怖の事前審査!!!



1週間後結果聞きに行ったら
無事可決やったけど、勤続年数とハイエースの
カーローンが残ってるから
希望額より減額されて200万位は手だしが必要そうに。


そこも金利を上げて+200万をローンに組み込む?事できる説明聞いて
うーん〓て、感じなくらいその分の金利高!(笑)


でも〓〓も私もローンが通るんや!って事がわかって
素敵すぎるオープンハウスも見て
一気にマイホーム熱が上昇〓✨✨←


とりあえず土地によって差額もあるし
土地探しをど真剣にすることに。



ローンもいけたし言った希望設計図ができた瞬間
営業トーク満載で、今月中に契約してくれたら
150万相当のオプションプレゼント〓です✨
ってオプション内容読まれて

そん時中旬位やったし、土地も決めてないのに
そんな早く決断できひんな〜って反応したら
とりあえず契約の判子だけ押してください!と。


やんわり流したらそれから土地の書類が届く届く〜。(笑)

まぁいい土地見つかったらタマホームでいいか?
って感じで、もらった土地情報回って
でもお互い一致してピンとこず。
(そりゃ希望バラバラやもんね)


でもめっちゃ急かされてる感が半端ないから
自分らで不動産屋も2件くらい回って
土地情報貰ったりしてたら

たまたまチャキチャキのキャリアウーマン
不動産お姉さんに出会い❤️
今のタマホームの状況話したら

絶対落ち着いてゆっくり考えた方がいいです!
営業トークに乗せられたらダメ〓‍♀️!って言われて。

あとフラット35は通りやすいけど
その分銀行に比べると金利も高いし
それならあと半年ゆっくり土地探しして
勤続1年いったら銀行に住宅ローン通してみるのも
手やと思う的なこととお金の事詳しく説明してもらって。

今思えばここで足止めしてもらってなかったら
情報不十分なままのマイホームで、建ててから
めっちゃ後悔してたと思う〓

この神お姉さんは夫婦ともに今だに大好き〓
(結局その人から土地買ってないんやけどね←)


タマホームの口コミもアフターフォローも
よくない事聞いて。。

営業マンさんのゴイゴイさも疲れて〓
やっぱりゆっくり土地探したいから
一旦熱冷まします。的な感じで距離を置くことに。

その間にも家賃はドブに捨てる事になりますよ!
とか言われて、たしかにそうやけど
住んでるんやしドブには捨ててねーわって
開き直ってのんびり土地探し(笑)☺️☺️☺️!

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CB750FOUR

太一摩托車精品店】 RAY 原廠車殼H殼前土除邊條側殼後扶手工資另計歡迎詢價| 露天拍賣
当時のロードレース世界選手権で完全制覇を果たしたホンダは、商業面でも世界的に進出することを目指し、次々にドリームCB450などの新車を発表し輸出していったが、当初は日本国外での評判が思いのほか芳しくなかった。これはレースからの流れとしてオートバイのトップスピードを重視chopper motorcycle for saleするあまり、小排気量で性能を出してもライダーが操れる余裕が少なかったことから、乗りやすさに欠けている面があったためである。そこで排気量の拡大により性能と余裕の両立を図った上、この頃のレース規格にも対応できる車両が構想されて製作が決定したが、当時のオートバイとしては最大級の排気量となるため、製造には当時の技術すべてを結集させることになった。こうして製造された車両が、ドリームCB750FOURである。なお車名のドリームという名称は、本田宗一郎の「夢」“dream”を車名にしたもの[2]で、ホンダが当時の高性能スポーツタイプに用いていたシリーズ商標である。

日本で生産されたCB750の多くは輸出され、1ドル360円固定相場のもと、ホンダに莫大な利益をもたらし、4輪車生産に弾みをつけた[1]。CB750はその性能だけでなく製造の精密さも評価を受け、世界各地で絶賛を受けることになり、CB750は世界の工業史にも名を刻む製品となった。この成功は、ホンダが二輪において世界的トップメーカーとしての地位を確立した。やがて日本製オートバイは英国車に代わって世界中を席巻し、国際的な販売合戦が繰り広げられていくことになった。

発売直後、日本ではCB750は当時の日本製の自動車よりも最高速度の性能が高かったこと、当時としては最大級の車体を持っていたこと、自動車の免許に自動二輪車の免許が付属していた世代は必然的に扱いが不慣れであったこと、などの理由から交通事故が目立つようになり、運輸省の行政指導によって750cc以上の排気量を持つバイクは形式認定が極めて困難となってしまった。このような大型自動二輪車に対する冷遇は、1990年代まで続くこととなる。こうした事情から、1970年代の自動二輪車に対する世間の風当たりは現在とは比較にならないほど激しく、例えば「ナナハン=暴走族」という扱いがさも当然であるかのようにまかり通っていた。さらに、頻発する交通事故に対し「度を越した性能で多くの若者の命を奪った、メーカーの社会的責任」を問う声まで上がった。しかし、これらの出来事がCB750FOURなど750ccのオートバイを「ナナハン」というひとつのカテゴリーとして、日本における二輪の最高峰へと位置付けさせた面もあった。

CB750FOURの主要装備と性能

エンジン - 4ストローク並列4気筒OHC
エンジンは見た目も考慮して二輪量産車初の並列4気筒エンジンを採用したが、アルミの部品を多く利用し、シリンダーをやや細めにしてエンジン自体の幅と重量を抑えている。動弁系は当時のレーサーに使用していたDOHCは不要と判断され、SOHCが採用された。キャブレターを全てのシリンダー4個に装備したのも二輪量産車としては初めてである。
エンジン性能 - 736cc・67馬力・公称最高速度200km/h
エンジンの排気量と馬力は、同業他車のエンジンを比較する形で決定された。このエンジンはもう少し性能を上げることも可能だったが、乗りやすさを優先したことから、当時の市販オートバイすべての最高値を上回る出力程度に抑えられていたが、それでも200km/hのスピードを出すことも可能な性能は確保されていた。しかし当時のタイヤとドライブチェーンはこの馬力に対応しきれず、開発中に破裂や断裂を繰り返したことから、共にCB専用の部品が造られることになったが、これは部品メーカーがホンダ側に対する製造物への責任を明確にするためだったとも言われている。
前輪ディスクブレーキ
当時すでに少量生産車両ではMVアグスタが前輪ディスクブレーキを使用していた。しかし二輪量産車では前例がなかったため、CBの実車が展示されるモーターショーの直前までドラムとディスクのどちらを用いるか比較討論されていたが、最終的に社長である本田宗一郎の「鶴の一声」で、ディスクブレーキを装備して展示させることが決まった。これにより二輪量産車として初めてディスクブレーキを採用することになったが、ノウハウの蓄積には苦労したと伝えられ、お世辞にもよく効くブレーキとは言えなかった。
ほかにもダブルクレードルフレームや、4本出しのエキゾーストパイプマフラーなどがホンダとして初めて装備された。1970年モデル(K1)・1972年モデル(K2)・1973年モデル(K3は日本国内販売はされず)など、最終型1978年モデルK8まで(日本仕様はK7が最終型)毎年装備やカラーなどのマイナーチェンジを行なっている。

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