それぞれの桜

桜が大好きなわたしは
毎年
花粉症の主人を
引っ張り出して
色々な場所に
お花見していましたね
今年の桜は
いつもとは
違う見え方に思えます
心が浮き立たないのは
やはり
虚無感が
そうさせているのでしょうか
綺麗なものは綺麗
それは確かなのですが
清々しい気持ちとは
ほど遠く
ときめかない自分に
わたしは別人だろうかと
驚く限りです
この桜は
実家に着いたときに
近くの桜を撮ったもの

今年も
きっとわたしから
誘いがあるだろうと思っていた
主人は
断る準備をしていたハズ
それが
流産という
結果になり
わたしをなんとか
励まそうと
敢えて主人から
桜見に行こうか
と誘ってきます
優しいのね
わたしをどう取り扱えば良いか
分からない主人は
必死な毎日なのが
伝わってきます
そうね
見れたらいいね
でも
そんな桜も今週いっぱいが見頃とのこと
あさってには
手術が控えているわたしにとって
気持ちは
落ち込む一方です…
流産しているのに
今日は
つわりを感じています
どうにもならない
もどかしい思いです
部屋のカーテンを閉め
暗闇で過ごしていると
主人が必ず
カーテンを開け
空気の入れ替えを始めます
ああ
まだ空は
明るいんだね
わたしの言葉に
主人が辛い気持ちになっているように
思えて
それがまた
辛くて
その繰り返しです
今夜
主人は夜勤で
わたしは一人
主人はわたしに
最後まで諦めない
信じてる!
と言います
わたしはどう答えたらいいのか
わかりません
受診の日
そばに居なかったことで
信じたい気持ちのほうが
大きいのでしょうか
期待して
手術当日に
落ち込んでそのまま手術なんて
辛すぎる…
わたしは
少しずつ
悲しみと手を取り
心の準備を始めるつもりです
赤ちゃん
生まれてくることのできなかった
あなたの思いを
受け止めたい
そして
本当に感動を覚える心に
戻れたら
わたしはまた
主人を引っ張り出すときが
来るのでしょう

親不孝な娘
妊娠した喜びを
いち早く
母に伝えていたため
流産したということも
伝えなければ
なりませんでした…
これはもう
流産が決定したときに
主人同等に
言いたくない相手でした

今日は
実家に行き
用事を済ませたあと
スケジュールを詰めていることの多い
わたしが
家の中に入ったので
母は不思議そうでした
何か食べる?という
いつもの言葉に
温かさを感じました
お味噌汁を出してきて
わたしに
つわりはあるかと
聞いてきました
大丈夫よ😌
その言葉に
安心したようでした
何も知らない母
わたしよりも
田舎に住んでいるため
いつもは
スーパーとホームセンター以外
出かけません

いつも庭や家周りの
手入れをして過ごします
父が10年以上前に亡くなり
母一人で
実家に暮らしています

日本庭園は父の夢だったので
残された夢を
ぶつぶつ言いながら
庭師に頼まず
自分で継続させる
母です

そんな母の口から
西松屋に行こうと思って
探したけど
思っていた所には
なかったという
話を聞かされました
笑いながら楽しそうに
話す姿に
わたしは
今から
この幸せを壊してしまう
言葉を発しなければ
ならないことを
悔やみました
母に背中を向けたまま
上擦った声で
相槌をうちました
色々したがる母を
呼び止め
ソファに座らせると
母はすぐに
わたしの泣き顔に気付きました
そこから
言葉を選ぶことはもう
できませんでした
流産した…とだけ言い
堰を切ったように泣きました
母は
背中を撫でながら
…残念だったね、よく頑張っていたのにね
と。
こんなに残酷な言葉を
言わなければならないわたしは
親不孝な娘です
それなのに
母は温かい言葉で
わたしを励ますのです
また次がある
だって妊娠できた体なんだから
と言ってくれました
わたしを
信じてくれている言葉でした
母は
わたしの前では
泣きませんでした
わたしが号泣したからかもしれません
それよりも
もっと前を向くように
諦めなければチャンスはあると
言い続けてくれました
わたしにとって
世界一強い母です
そして
帰り際
いつものように
自家栽培の野菜を
勧めてくるところも
普段と変わらない光景が
素敵でした


🥕
親孝行できる日は
くるのでしょうか
母を
幸せにできる
娘に
わたしはなりたい

コメントをくださった方へ
一人ずつしっかりと
読ませていただいています
ただ
今はまだ
お返事できる心の余裕が
ありません
気持ちが落ち着いたときに
お返事させていただきます
診断書📄
流産と告げられてから
何を
思うか
実感のない体に
頭を理解させることが
なかなかできませんでした
つわりはあるし
お腹の張りも感じます
でも
そう言い渡された
それだけでした
診察台に
他の先生もきて
2人で映像を注視している
そして
先生は首をひねりました
診察直後に
面談室に通され
先生から説明を受けました
そのうち
わたしは
自分のことなのだと
自覚し始め
こらえきれず
泣きました
そのまま手術の日程を決めて
看護師さんから
手術の説明を受けました
説明は聞いているようで
何も入ってきませんでした
朝から受診して
全てが終わったのは夕方でした
主人は仕事で翌日まで不在です
受診も
帰ってからも
1人でした
長い1日でした…
先生宛に書いていた
感謝を綴った手紙も
渡すことなく
鞄に入ったままです
先生からも
産婦人科医院宛の紹介状を
いただく予定でした
わたしたちは
お互いに渡すことが
許されませんでした
状況が
180度変わり
わたしは
不妊治療の
振り出しに戻されました

1週間の診断書
色々な診断名がつくと思いますが
わたしの場合
切迫流産でした
辛いながらも
当日に
師長に伝えると
総師長まで話が行きました
診断書は郵送でも
主人が受付で渡すでも
いいと配慮してくれました
それで
今日は休みだった主人が
わたしの代わりに
診断書を渡しに行ってくれました
主人は
わたしを気遣い
ピザやケーキを買ってきて
泣き出しました


わたしの好きなものを買ってきたから
元気を出してと
こんなことしかできないと
泣いていました
主人が
泣くことは滅多にないので
辛さを共感してもらえて
少し救われました
食欲はなかったけれど
好きなものだから
食べることができました
それに
落ち込んだ表情をすると
主人が笑わせてくるので
落ち込むことが
できません
今も
わたしを心配して
わたしの横で寝ています
いつもは
別々のベッドで寝るのにね🛌
泣きたくないので
考えないようにしている
そう言った方が
いいのかもしれません
それでも
ブログを書く時は
どんなに辛いことがあろうと
自分と向き合う時間だと
いつも思って書いているので
この時間も必要ですね
現実
わたしのお腹の中には
まだ赤ちゃんがいます
今の率直な気持ちを話すと
手術するその日まで
一緒に過ごす最後まで
わたしは
無気力で終わりたくない
まだ
わたしは
母親なのです
ご報告
愛犬が夫を受け入れるとき🐕
写真で振り返る
らむさんと主人の仲

初めてらむさんを抱いて
眠れたのは
らむさんが16歳を過ぎてからでした
こんな日が
来るなんて
元気だったらむさんからは
想像できなかったこと🥲
主人は
らむさんと一緒に
眠りにつきました💤

らむさんは
わたしが独身時代から
飼い始めた愛犬です🐶
結婚して
連れ子となり
主人と同棲を始めましたが
全く仲良くなれませんでした💥


主人の実家の愛犬たちは
愛おしそうに
上目遣いで
主人を見上げます💓

らむさんも
わたしには
そんな表情で
見てくれていました💓

旅行に行っても
いつも主人の担当は
ベッキャムさんでした🐕
どちらかと言うと
犬の方が
担当を選んでいるようでした。笑

それはきっと
らむさんが
必死にわたしを
守ろうとしてくれていたんですね🌈
主人に敵意むき出しの
らむさんを
叱らなければならない立場なのですが
ふたりのやりとりが
楽しくて
ついつい
そのままにしていました。笑

だから
過剰に
主人に反応していたのかもしれません🐕💥

なかなか
距離が
縮まりませんでした😅

落ち込む主人。。🥲
年数を重ね
らむさんは16歳を迎えました🎂
16歳を過ぎると
目の覇気が消え
うつろな表情になっていきました


自分のことが
自分でできなくなり
トイレも失敗
歩くことすら
困難になってきました



すると
らむさんは
少しずつ
主人を受け入れるようになりました

主人だけで
動物病院に受診することも
できるようになりました🏥

具合が悪かったときは
主人から
ミルクをもらい


冬の日には
主人に抱っこされて
出勤のお見送りを
することもありました❄️
認知症が
らむさんを
少しずつ
らむさんではない犬に
していってるのは
確実で
そんななかで
生まれた新たな絆✨
こうなってから
仲良くなるのを
見るのは悲しいですが
主人は愛情いっぱいに
介護をしてくれています💓
家族の愛を
感じる毎日です🐶💗👩❤️👨
嫌われ続けても
無償の愛情を注ぎ続ける
主人のガッツに
脱帽です
感謝しかありません☺️
今年の
年賀状は
もちろん
主人とらむさんが
ラブラブな
家族写真でした🥰

未来はどうなるか
わかりませんが
今を一生懸命生きているらむさん🐶
主人に負けないよう
わたしも
愛情を注ぎます💗
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