5年経って思うこと

学校を卒業して実家に戻ったら、環境が悪い方に変わりすぎて、落ち着いていたうつがみるみる悪化した。どれくらいのストレスだったかというと、数値化できないし説明するのが難しいんだけど、特に努力せず3ヶ月で15キロ痩せたくらい。
家族はうつを心の病みたいに思ってたんだか、お話にならないくらい理解がなくて(私も絶不調だったから自分の症状をプレゼンできなかったし)そのくせ心理学専攻だとか医療従事者だとかの自負があり、謎のうつ病マニュアルを持っていて、本当に本当に嫌だった。
よく家族からキレられたのは、私が布団から出ずに家事をしないことについてだった。具合が悪いんだから家事ができないのなんて当たり前なんだけど、私もこの頃は病院難民で周りに誰も味方がいなかったし、最低レベルまで考える能力が落ちていたので、やっぱりうまく自分の状態を説明できず、うつは悪化した。
そうこうしていたら父が亡くなって、皮肉にも環境が変わったことで身体は少し楽になった。
「具合が悪いのはずっと家にいるせい」と母に言われ、働くことになった。
でも今思うとそんなわけなかった。母がうつについて少しでも役に立つアドバイスをしたことがあったか?といえば、ないし、むしろ信用しちゃいけないタイプのことしか言わない。でも私は相変わらず頭が働かなかったので、働いたら家事のことで色々言われなくなるかもしれないし、と思って仕事を始めた。
正直、まともに仕事なんてできるわけなかった。体も弱っていてすぐに熱を出したし、そもそも脳みそが普通の成人の状態じゃなかった、今思うとほんとに。
何百回も私には無理だと思ったけど、5年働いた。
働き始めの頃、母に「自分の病院代くらい自分で稼げるようになりなさい」と言われた。
その後「自分のお小遣いくらい」「自分の保険代くらい」と、すぐに求められるものが大きくなり、母に「もう仕事辞める」と言うと「辞めてどうするの、どうやって生きていくの」と、もう今日にでも死んでしまいたい私に説教をした。
「最初は病院代稼げればいいって言ってたのに」と食い下がると「いつの話をしてるんだ」とまた説教された。ただ時間が経っただけで、私の状態は特に良くなっていなかったのだけど、その間何度漂白剤やら薬やらを飲んで救急搬送されたかわからないのに、なんでそれを見ていて「退院したらまた働ける」と思ったのか怖くて聞けない。

一年かかろうが二年かかろうが、ちゃんと休めばよかった。まぁあの家族に囲まれた環境では、一年やそこらじゃろくに休めなかったかもしれないのだけど、ちゃんと身体が動くようになったら、意外と私は人並みに働けるんだな、と思うようになった。私は本当にずっと、普通の仕事ができないことに悩んでいたから。それはべつに、うつで身体や脳の機能が落ちていたからだったのだけど。
経験してみるとわかることだけど、うつは脳の病気だから、私の症状はアルツハイマーにも似ていた。仕事ができないと感じるのは当然だった。5年間、なけなしの体力と大切な気力を代償に、感じる必要のない無駄なコンプレックスを育ててしまった。できればその5年間を、ただただ休むことや治すことに使いたかった。

こうしていればもっと早く治っていたのに、とは思うけれど、母は私が入院して完治させたいと望んでも、それを一度も許さなかったし、他の可能性はなかったと思う。未だにどうすればよかったのかもわからないし、そもそも私は頭も体も弱り切っていて何かできたとも思えない。

だからもう、また悪くならないように気をつけるしかない。実家暮らしで家族がいても、正しい味方がいなければ、結局ひとりで死ぬしかない。

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