らしさと自由のはなし

高校の現代文の先生は、特に個人的に親しかったわけでもなく、授業の内容が個性的なわけでもなければ、話上手な面白い人というわけでもなかったのだけど、離任式の挨拶で話していた中に未だに忘れがたい話があった。
「らしさというのは何でしょうか。らしさに固執していませんか。自由とはどういう状態ですか。らしさなどないほうが自由です」

かいつまむとそんなようなこと。
らしさにこだわってがんじがらめになることは未だにあるけれど、らしさは何かを始めるときに指針にするものではなくて、何かを完成させたときについてくる副産物であったほうが自由だ。スタート時点で自分らしさをテーマにしなければ、完成までの過程はずっと自由なのだ。
スタートのとき指針にすべきものは、自分の思い描く自分らしさより、単純に自分の好きなもの、自分のしたいこと。
自分らしいとか自分らしさとか、私はわからなくていい。それは私ではない人が自由に考えていい。だからと言ってそれをレッテルにして必要以上に自分を縛ることもない。私には好きなものがあるだけでいい。

それはそれだけど、あの絵といえば瑞晶さん、と思われるのは嬉しいこと。それはそれ。
誰かの思う私らしさが、素敵なものだったら嬉しいです。

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