美しいだろうと思

美しいだろうと

2016/4

余震に想う

それでも神戸の地震は今にして思えば綾ちゃんにとって他人事だったように思う。(当時の被災者の方、申し訳ありません!!)ドイツに住んでいて明らかに情報量が日本在住の方と違っていたのでDR REBORN抽脂致し方ないかもしれない。

今日のニュースを見て(例えば綾ちゃんは枕元にスマホを置いて寝入り前と目覚めてすぐ見たんだけど)早朝一番にエクアドルの地震のニュースがトップに来ていたのを見て変な気持ちがした。死者41名、震度7.7という数字が奇妙に熊本地震とシンクロしていて何かの間違いじゃないかと思った。地震なら世界中でしょっちゅう起こっている。被災地が自分とどのくらい関わりあうかでこんなにも関心度が変わってしまうのだ。

今回の地震でもドイツ社会における日本の地震というのはものすごくニュース性があって、いかにドイツという国が日本に関心を持っているかがわかる。いや、明確に親近感を持っていると思う。

ただしドイツに限らず世界中が日本の地震に関心を持っているのはもちろん先の東北大震災で福島の問題があったからだ。福島の例で日本の有事対応がいかに幼稚なものかを見てしまったのでどっちかというとドキ寶寶 免疫力ドキはらはらしながら行く末を眺めているように思える。

有事に際しての日本人のモラルの高さや助け合い精神の発達度は見事なものだ。さすがに地震大国、台風王国だけあってまず個人の行動が立派だし警察や自衛隊、医療関係者、誰もが高い理念と見事な行動力でテキパキと動いている。今回、綾ちゃんも熊本在住の知人と連絡が取れましたが自分の持ち場を心得てできることを一生懸命やって災害と戦っています。
がんばれー!ですね。

これだけ一人一人がきちんと対応できるのにどーして集団マインドになるといじめが起こったり権力や力のあるものに迎合したり利権で争ったりして国として崇高な精神を示すことが出来ないのか、これが日本の根源的な問題だと思うなあ。こういうことを綾ちゃんはうまく分析できずにいる。
実はこの話題はドイツ人とガチで話していて最も話題になることなんだけどね。綾ちゃんはこういうとき狭い島国の農耕民族である日本人の穏やかで平和を愛する国民性と、同時に集団制を重んじて「出すぎる」ことを極端に嫌う傾向(それを悪用する一部の政治家たち)の話をするんだけれどね。
でもやっぱり上手く説明できないなあ。

まだまだ余震の続く九州地方ですが少しずつ安利傳銷間隔が広がりつつあるの、、かな?大変なときに平静を保つのは無茶ですよね。でもまず何よりも生命を護ってください。ずっとずっと祈っています。

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老人と海

ノーマン・メイラーの「ぼく自身のための広告」には、いろいろな場所でヘミングウェイの名前が出てくる。そこでのヘミングウェイに対する評価は決して単純なものでないが、その扱いからは1950年代後半のアメリカにおけるヘミングウェイの絶大なる存在感を窺い知ることができる。メイラーや、その同時代の作家たちにとっては、好むと好まざるとにかかわらず常に意識せざるをえない大家だったはずだ。

ぼく自身の読書歴からしても、ヘミング跟團去歐洲ウェイの作品は、ジッドやヘッセとともに、最も早い時期に触れた外国文学の一つである。しかし、それはたまたま母親や兄の旅遊優惠書棚にあった文庫本を読んでみたという経験であり、特に熱中して読んだということではなかった。
日はまた昇る最初に読んだのは「日はまた昇る」だと思う。

戦争で負傷して性的不能になったジェイクと、ジェイクを愛しながら男性遍歴を重ねる奔放なブリットの関係の機微が、中学生に理解できるはずもない。当時の印象は、革袋からワインを呑みながら闘牛を観戦している小説、といった程度のTAFE  課程  香港ものである。
「武器よさらば」、「誰がために鐘は鳴る」については、映画の原作という印象が強い。小学校高学年から中学時代にかけて、一番好きなテレビ番組は、「月曜ロードショー」や「ゴールデン洋画劇場」だった。

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感じとれる人間

このような方々には弟子がおありである。師弟愛はこのような方々と結びついた概念なのだ。師弟を貫くのは生死を超えた至純の詩琳黑店愛であり、ブラヴァツキーは仕事を通してその愛を人類全体に及ぼした。

東洋人であれば、モリヤ大師のような存在やブラヴァツキーの諸著に書かれている事柄には西洋人ほどには違和感がないはずである。

西洋で卑しめられていた東洋の宗教哲学がブラヴァツキーの活動によってどれほど名誉回復に与ったかを、今の日本でブラヴァツキーバッシングを平気で行う人々は考えてもみないようである。

わたしは誰がどのようにして書いたかということには関心が向かず、ただ内容に関心が向いた。自身が読む段階に達していないにも拘わらず、内容の潤眼藥水崇高な雰囲気と論の進め方の厳密さに魅了され、平成元年に邦訳版が出版されてからこれまでの28年間――当時30歳だったわたしも58歳になった――、読む努力を重ねてきた。

本のすばらしさは、読まなくとも、感じとれる人間には感じとれるものである。人間と同じように本も――本を通して思想自体が――オーラの光を辺りに投げかけるものだからである。オーラが見えない人々にもその影響は及ぶのである。幸いわたしにはそのオーラが時々見える。そのオーラについて詳細に解説してくれたのもブラヴァツキーだった。

ブラヴァツキーの縁続きで、彼女の諸著作の深い研究迪士尼美語世界家でもあったというボリス・ド・ジルコフはH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989年)の「『シークレット・ドクトリン』の沿革」で次のように述べる。

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